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彷徨える河

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闇の奥、遡上の果てに―

20 世紀初頭と中盤にアマゾンに足を踏み入れた実在する二人の白人探検家(ドイツ人民族学者テオドール・コッホ=グリュンベルクと、アメリカ人植物学者リチャード・エヴァンズ・シュルテス)の手記に触発されて作られた物語。アマゾン先住民の生き残りで呪術をあやつる男カラマカテの元を、二人の探検家が異なる時代に訪れることで、カラマカテを船頭にした、二つの時を往来する旅がはじまる。アマゾンを舞台にしたこの物語は、神秘的な幻覚や呪術といったマジックリアリズムに彩られた世界観を持つ。その世界観は、美しいモノクロームの映像と情感あふれる多層に重ねられた音によって描かれ、失われた先住民の“記憶”をスクリーンに強烈に焼き付ける。

詳細情報

原題
El abrazo de la serpiente
作品公開日
2016-10-29
音声言語
スペイン語/ポルトガル語
字幕言語
日本語
作品公開日
2016-10-29
制作年
2015
制作国
コロンビア/ベネズエラ/アルゼンチン
対応端末
公開開始日
2017-08-02 00:00:00
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彷徨える河の評価・レビュー

3.8
観た人
818
観たい人
1739
  • −−

    まいこさん2021/11/28 14:24

    世界各地の映画祭で注目を集めるコロンビアの俊英シーロ・ゲーラ監督の長編第3作で、2015年カンヌ国際映画祭監督週間で最高賞を受賞した。20世紀前半にアマゾンを訪れたふたりの白人探検家の日記を基に、先住民族の視点から、失われつつある彼らの文明を描き出す。

    実在の学者リチャード・エヴァンズ・シュルテスとテオドール・コッホ=グリュンベルグの手記を基にしたドラマ映画で、20世紀初頭のアマゾンを訪れた学者と原住民の奇妙なロードトリップを描く。

    部族最後の生き残りである呪術者カラマカテは、アマゾンの奥地でひっそりと暮らしている。数十年にわたって他者との接触を拒んできたカラマカテは、孤独のあまりすっかり記憶や感情を失っていた。そんな彼の前に、聖なる樹木ヤクルナの調査に来たアメリカ人の植物学者エバンが現われる。エバンと共にカヌーでアマゾン深部へ漕ぎ出したカラマカテは、少しずつ記憶を取り戻していく。

    今と昔とアマゾン物語
    呪術者カラマカテが若い頃に出会った学者と晩年に出会った学者との対比構造で話は進む。両者ともに聖なる樹木ヤクルナを欲しているが……。
    全編ほぼモノクロ。自然破壊と未開の地の問題やら何やら語らずとも感じろ、文化と文明、みたいなわかり易いテーマがあるにも関わらず、言いたいことの根幹が定まらないまま、啓蒙されて終わるのが惜しい。実話ベースが辛うじて物語の特異性を支えている。
    今日学んだこと:マジックレアリズム

  • −−

    AV大好き少年さん2021/11/06 15:26

    生半可な気持ちで手を付けていい代物ではなかった。

    途中から「ハード・コアな水曜どうでしょう」として鑑賞した為何とか乗り切った。

  • 3.1

    アルパカメタルさん2021/10/05 16:24

    わたしには高尚な映画すぎて観てからしばらく考えてた...。ラストぶっ飛んだ。いや、やっぱり考えてもわからんわ。

  • 3.4

    Takumaさん2021/09/23 17:46

    舞台が秘境アマゾンの奥地である事や原住民たちの信仰や文化、生活に濃密に触れている事から、非常に神秘的な作品。
    何と言っても、白黒にも関わらず十二分に伝わる
    人工的な演出や華美な装飾など入る余地の無い、広大なジャングルと大いなる河の流れの純度の高い美しさ
    文明社会から切り離された、本来的、自然的な生命としての活動に想いを馳せたくなる
    テオやエヴァンは、その意味ではある種脅威ともいえる存在になり得たかもしれない
    コンパスのくだりや、ヤクルナの利用目的など
    如何ともしがたい双方の意図せざる対立構造の描写もぬかりない。

    カラマカテ(基本名前覚えにくい)の過去と現在の姿がまざり合い、時に記憶と邂逅していく構成が良かった

    終盤にさしかかる頃モノクロからカラーに移るシーンが僅かながら存在していますが、あの意図はなんだったんだろう
    色々と興味が尽きない、まさに秘境めいた映画

  • 3.0

    すぽんじさん2021/08/28 21:39

    【絶対に彷徨いたくないで賞】

    ☞1st☜
    原住民、まさしく「陸海空〜」の舞台。シャーマンも出てくる。
    ヤクルナがヤクルトにしか見えなくなってくる。
    終盤いきなりSF感。テレビ壊れたかと思った。
    コロンビア初、外国語映画賞おめでとうございます‼︎

    ☞2nd☜
    観たことあったの忘れてて観ちゃった…
    鞭しばきジジイで思い出した…

    ヤクルナ探しの旅
    ヘビ!!
    チュジャチャキ=もう1人の自分
    偽ジーザス狂乱「私の体を食べよ!」
    カラーの使い方…

    2018.08.25レンタルDVD*字幕(評2.8)
    2021/05/24GYAO無料配信*字幕

  • −−

    neさん2021/08/19 21:00

    ゴムの木について少し知識がつく。狙ってるのか分からなかったけど、プロローグの入り方にくすっとした。カラマカテの馬鹿笑いは誘われる。

  • 4.4

    あーさん2021/08/05 00:12

    モノクロのジャングルが
    堪らなく美しすぎる。

    ジャングルの"熱"を感じずに、
    スーッと心の中に入ってくる。

    幻の聖なる植物ヤクルナを求める
    異なる時代の2人の学者。
    1人は重病に侵されたドイツ人の民族学者。
    もう1人はその学者が残した手記を
    元に訪ねてきたアメリカ人の植物学者。

    彼らが出会った、孤独に生きる
    シャーマンのカラマカテ。

    若きカラマカテと老いたカラマカテ。
    老いたカラマカテは昔の記憶を
    無くしている。

    彼らの旅を交互に魅せていく所も
    堪らなく好きだ。

    途中でノエのクライマックス!?な
    狂喜乱舞シーンも登場!!
    カラマカテが何か入れた飲み物で
    狂喜乱舞開催ヨ!!
    観たタイミング良かったな。
    映画の神様、ありがとう。

    ジャングルの規律を守り続ける
    カラマカテ。規律を守るなら、
    ヤクルナ探しを手伝うと
    ドイツ人学者に告げる。
    自然に感謝し、その声を聴く為に
    規律を守る。って、今では難しい事
    なのかな。と思わずにはいられない。

    全てに答えのある映画ではないが、
    答えは自分の中にある映画なのかも。

  • 3.8

    rpmu90377さん2021/08/01 15:36

    カラマカテはアマゾン川流域のジャングルでひとりで暮らしている。彼は先住民族唯一の生き残りでシャーマンだ。ある日、彼のもとに重病の民族学者のドイツ人を連れた青年が舟でやってくる。ドイツ人の病気を治してやってほしいという。カラマカテは、白人が聖なるジャングルの領域に踏み込んできたために自分たちの民族が滅んでしまったと思っている。いったんは断ったものの、ドイツ人の上流の地域でカラマカテの民族の生き残りを見かけたという言葉を信じ、治療薬となる幻の聖なる植物ヤクルナを見付けるために、彼とともにアマゾン川に出る。

    舟に乗った三人が川べりの村に上陸しては舟に戻りを繰り返すうちに様々な人と交流を持つことになる。それは決して好意的な交流とは言えず、ジャングルの伝統を重んじて生きてきたカラマカテにとっては受け入れがたい光景が次から次へと現れる。文明社会からやってきた連中に牛耳られている様子に失望した彼は大胆な行動に出て旅を終わらせてしまう。
    それから数十年後、記憶を失ったカラマカテのところにアメリカ人植物学者が訪れ、彼は再びヤクルナ探しに出発する。

    伝統を守ろうとする人間とそれを壊して新しいものに置き換えようとする人間の対立をテーマにした映画は珍しくはないが、本作は陳腐なテーマを取り上げながらも独創的な演出で見るものを飽きさせない。なじみのないアマゾン川流域を舞台にして人々が対立する世界を美しくクリアなモノクロ映像で見せる。冒頭から未体験ゾーンに入っていく高揚感を感じることができ、一気に映画の世界に取り込まれた。過去と現在を行き来する構成もおもしろい。

    カラマカテの青年時代を演じた男性はプロの俳優なのだろうか。終始、気難しそうな表情を顔に浮かべ、引き締まった筋肉質の体に褌を着けだけの姿で行動するが、伝統を死守しようとする姿勢を体現しているようで、印象に残った。

  • 3.4

    ゴリアテの憂鬱さん2021/07/31 11:14

    南米のジャングル奥地を舞台に、2人の異なる白人探検者と先住民カラマカテとの30年の時間を交錯して語られる実話に基づいた映画。

    文明や文化、自然への考え方や捉え方というものを考えさせられる話でした。

    美しいモノクロ映像を見せられてからの、ラストのSFとスピリチュアルが混同したような映像がとても印象的でした。

  • 4.5

    Jeffreyさん2021/07/24 06:51

    「彷徨える河」

    〜最初に一言、傑作。私が2010年から2019年の10年間で選んだベストテン暫定(惜しくも外野になってしまったが)に入ったコロンビア映画で、その驚愕の世界観と圧倒的な映像美と深遠なるアマゾンの最奥に潜む闇と失われゆくものの物語に感動し、モノクロームの息を呑む美しさに圧倒され、私にとって切っても切れない縁があるコロンビア共和国が史上初のアカデミー賞にノミネートされた記念碑的傑作である。この終盤のSF的要素、まるで別の宇宙を見ているかのような色彩とトリップ映像には驚かされた。正に2つの世界と2つの科学、2人の人間による時空を超えた物語と新世界が写し出される詩的この上ない作品である〜

    本作はシーロ・ゲーラ監督がジャック・トゥールモンド脚本(共同執筆)を2015年に制作したコロンビアの作品で、コロンビア映画史上初の米アカデミー賞最優秀外国語映画賞にノミネートされたモノクロームの傑作で、この度BDにて久々に鑑賞したがやはり素晴らしい。実在の学者リチャード・エヴァンズ・シュルテスとテオドール・コッホ=グリュンベルグの手記を基にしたドラマ映画で、20世紀初頭のアマゾンを訪れた学者と原住民の奇妙なロードトリップを描いた映画だ。製作は上記の国と、ベネズエラ、アルゼンチンの3カ国製作になる。更に第68回カンヌ国際映画祭の監督週間で上映され、芸術映画賞を受賞している。この映画何が凄いって、アメリカで外国映画としては異様のヒットを起こし、1位になりフランスでもロングランの大ヒットを飛ばしている。

    まず、この映画は驚愕の世界観と圧倒的な映像美に終始魅了される。本作は、20世紀初頭と中盤にアマゾンに足を踏み入れた実在する2人の白人探検家(ドイツ人民族学者とアメリカ人植物学者)の手記に触発されて作られた物語である。アマゾン先住民の生き残りで呪術を操る男の元を、2人の探検家が異なる時代に訪れることで、カラマカテ(その男の名前)を船頭にした、2つの時を往来する旅が始まる。アマゾンを舞台にしたこの物語は、神秘的な幻覚や呪術といったマジックリアリズムに彩られた世界観を持つ。それは美しいモノクロームの映像と情感溢れる多層に重ねられた音によって描かれ、失われた先住民の記憶をスクリーンに強烈に焼き付けることに成功している。監督は、米エンターテイメント業界誌にて、2016年に注目すべき監督10人に選出されるなど、近年世界的な注目を受けているコロンビアの俊英シーロ・ゲーラである。

    本作も2015年カンヌ国際映画祭監督週間アートシネマアワード受賞、2016年アカデミー賞外国語映画賞ノミネート(コロンビア史上初の快挙)など、数々の映画祭で極めて高い評価を得ている。日本ではお馴染みのイメージ・フォーラムで一般公開された。当時この作品を見ようと思っていたが、どうしても都内に行ける状況じゃなかったため諦めて、レンタルもしくは、円盤が発売されるまで待った。しかしどうせ高画質質のBDで発売してくれないだろうなと思いきや、奇跡的に発売されたのでこれを購入したときの喜びは今でも忘れられない(逆に去年話題をさらったチェコ映画の傑作モノクロームの「異端の鳥」が4月時点でDVDのみの発売と知らされたときの絶望は計り知れなかったが、9月に国内でもブルーレイ化されるので一安心した)米国では初週土日の成績が2015年公開の外国語作品との比較でトップになると言う異例のヒットを記録し、フランスでもロングランを記録するなど、興行面でも世界的成功を収めている。

    あまり個人情報になるため多くは語りたくないのだが、コロンビア映画と言うことで私は非常に嬉しい思いになった。コロンビアとは切っても切れない縁がある。何を言いたいかは私の容姿を見て察してほしい。コロンビアのイメージはまず治安が悪い、コカイン、先住民、河、戦争…それらのマイナス面がまず真っ先に日本人の頭には浮かぶと思う。逆にコロンビアのプラス面を頭に浮かべた時に果たして何が出るだろうか?美しい美女、ラテンのリズム音楽、国旗のシンボルになっているコンドル、コーヒー豆、エメラルド、薔薇、アーティストのフアネス、同じくシャキーラ、サッカー選手ハメス・ロドリゲス…このくらいだろうか?!この映画はコロンビア共和国の固定概念を覆すそこ知れぬアマゾンを単純なものとして捉えていないところ、ゲーラの母国コロンビア地図を見ても、国に存在する大いなる不確実性に圧倒されるこの冒険の絵巻は私たち人類が、科学と芸術によって、残忍性を克服できているのか、できていないのかを図るための映画になっており、先住民の目線では未だ何も語られていないことに気づかされる。

    広大な土地の物語は未だ手付かずで、この映画で全貌を映し出す事は出来ていない。まさにこの作品は失われてしまったかつてのアマゾンを映画の中で蘇らせる一大企画になっている。この作品の脚本はゲーラが4年をかけて大半を書き上げたもので、最終稿の段階で共同脚本家のジャック・トゥールモンドが参加したことで、西洋スタイルの物語に慣れた観客のための非西洋の物語となったらしい。アマゾンを舞台とした映画は数少なく、しかもそのほぼ全ては外からやってきた探検家の視点で描かれ、先住民はしばしば野蛮な民族として描かれていた。つまり、本作のような先住民の視点で描かれた作品はこれまでないに等しいものである。脚本が完成し、ゲーラ監督と撮影クルーは、グリュンベルクやシュルテスの時代から数十年を経て、知られざるアマゾンを再発見するため、カメラを抱えてジャングルの奥深くを進む探検家となったそうだ。

    撮影はコロンビアのバウペスで7週間かけて行われ、コロンビアのアマゾンで撮影された作品は30年以上なかったみたいだ。アマゾンはコロンビアの複数の県にまたがっているだけではなく、大部分が未開拓地であった。そして失われた先住民たちのコミュニティ、風習、言語など多くのものの避難地と言えるものだった。この物語は、アントニオ・ボリバル・サルバドール、ニルビオ・トーレス、ヤウエンク・ミゲをはじめとした、コロンビア人ですら知らない遠く離れたこの地に住む複数の先住民族の助けによって語られることとなる。一方、本作は他民族、多文化、多言語の作品であるとも言える。ベルギー人俳優(私の大好きなシッチェスカタロニア国際映画祭で数年前にグランプリを受賞した「ボーグマン」の得体の知れない主人公を演じていたことでよく知っている人物だった)ヤン・ベイヴートや米国人俳優ブリオン・デイビスは西洋人であるが、

    その他のスタッフやキャストは、ペルー人、ベネズエラ人、メキシコ人、そしてボゴタ、カリ、サンタ、などのコロンビア人、バウぺスの先住民たちによって構成されていた。ちなみにボゴタはコロンビアの首都で、私が小さい頃5年間住んでいた所である。撮影クルーの初期段階の目的は、先住民のコミュニティと接触し、彼らの知識を得て、形を持った関係性を築きあげることだったらしく、彼らは先住民に対して自分たちが何をしたいのかという説明をしっかりと行った。彼らはここが先住民の土地であると言うことを常に肝に銘じていたそうだ。彼らはアマゾンの木々が生い茂る風景に驚きと畏怖の念を抱いたとか…。撮影に選ばれた場所は知られざるアマゾンの奥地であり、コッホ=グリュンベルクやシュルテスがであった偉大なる人や豊かな文化が存在する場所だそうで、プロデューサーのクリスティーナ・ガジェゴは、この物語を描くため、

    私たちは8000キロも移動した。それは描きたかった数十年前の時代へと旅するような感覚だった。カヌー、筏、ボート、数十年も前の飛行機、バイク、人力車、ダンプカー、ピックアップトラックなど様々な乗り物で移動した。マベクル山のどのあたりまで登ったかはわからなかったけれど、険しくて水に濡れて凍っている30メートルもの岩をよじ登ったと語っている。彼らは、まず何よりも先住民のコミュニティに助けてもらい、加えて民兵や看護師などの助けも借り、そして、現地の部族のシャーマンには、病や危険な動物、悪天候等から身を守る儀式を執り行ってもらうと言う特別な加護を得て、本作を完成させたのだ。さて前置きはこの辺にして物語を説明していきたいと思う。



    さて、物語は深遠なるアマゾンの最奥に潜む闇。遡上の果てにあるものとは…これまで語られることのなかった失われゆくものの物語が始まる。アマゾン流域の奥深いジャングル。侵略者によって滅ぼされた先住民族の村、唯一の生き残りとして、他者と交わることをなく孤独に生きているシャーマンのカラマカテ。ある日、彼を頼って、重篤な病に犯されたドイツ人民族学者がやってくる。白人を忌み嫌うカラマカテはー度は治療拒否するが、病を治す唯一の手段となる幻の聖なる植物ヤクルナを求めて、カヌーを漕ぎ出す。数十年後、孤独によって記憶や感情を失ったカラマカテは、ヤクルナを求めるアメリカ人植物学者との出会いによって再び旅に出る。

    過去と現在、2つの時が交差する中で、カラマカテたちは狂気、幻影、混沌が蔓延するアマゾンの深部を遡上する。彼らが向かう闇の奥にあるものとは…と簡単に説明するとこんな感じで、コッポラやヘルツォークなど才能ある監督はジャングルの狂気によく取り憑かれるなと思いながらこの作品を見たが、この監督は「地獄の黙示録」の暴力性や「フィツカラルド」の精神錯乱状態に尻込みしていない。彼の故郷である闇の奥への旅はこれまで誰も見たことがない世界を見せてくれることに見事に成功した傑作である。これはコロンビア現代美術の宝と言っても良いのではないだろうか。アレハンドロ・ホドロフスキーの言葉を拝借するならば、この映画には幻覚性植物と同じ作用がある。激しく、しかし繊細で魅力的なコロンビア映画をようやく推薦できる日が訪れた。まさに、絶大な力を持つ旅である。



    まず、冒頭から圧倒的に美しい。虫の鳴き声が強調される中、河の水の波動がファースト・ショットとして始まる。そして先住民族の男が槍を持ちしゃがんでいる姿が映り、次のカットではやや引きに彼の後ろ姿を撮り徐々にカメラが前進していき、その奥のカヤックを捉える。もう既に、このわずか1分の出だしで私の心は魅了され映画に吸い込まれていった。ゆったりと動くカメラ、動く被写体にそれを追いかけるカメラ、圧倒的なグリーン・インフェルノ(緑の地獄)、そこに文明が映し出され、伝統や儀式が垣間見れる。そしてモノクロに映る小動物(蟻食い?)が河へと姿を沈ませる…。そして夜へ。また暗闇の映像は松明の火が美しく映り神秘的である。それからあの蛇の気色悪い群の描写は印象に残る。

    激流のダイナミックさ、叙景の大自然の中を川の流れに沿っていくスライドシーンなど美しい。片腕がなくて、片目が潰れている男が途中で狂いながら出てくる場面は強烈。それと夜な夜な子供たちに鞭を打ちをする残酷なシーン、民謡の中カヤックで川を渡る卓越したカメラワークと夜景のアマゾンの不気味さと不吉さが何とも言えない気持ちになる。それに夜の伝統の儀式で酒を飲み先住民たちがラリる場面はもはやホラー映画である。あの虎の至近距離の撮影とかも凄い迫力がある。それにしてもこの映画は1時間57分を過ぎた頃まるで映画の趣旨とは異なる別世界が写し出されてカラー映像に変わるのだが、このSF感がとても不意をつかれてびっくりした。それにその色彩とゆっくりとしたトリップ形式はギャスパー・ノエの「エンター・ザ・ボイド」を頭によぎる。

    この作品は2つの時間軸を描くと言う語り口になっているのだが、先住民は普段"普通"とされる世界で生きている我々とは異なる時間概念を持っていると言う考え方がある。彼らの時間の概念には、西洋のように直線的に流れるものではなく、連続する複数の世界が同時に存在すると言うものであるのはなんとなくわかる…。それは時間のない時間、空間のない空間と呼ばれている概念である。この概念が、探検家たちの物語とつながると思って、監督はこの作品を作ったのではないだろうか。昔の探検家の足跡を辿ってアマゾンにやってきた探検家が、昔の探検家が遭遇したのと同じ先住民に出会い、昔の探検家の存在が神話になっていることを知るのだ。先住民にとっては、繰り返し訪れるのは、いつも同じ人間で同じ魂であること。1つの人生、1つの経験が、複数の人間の身体を通して生き続けていると言うアイデアはとても面白く、脚本の大いなる出発点になったのではないだろうか。

    このアイデアが、先住民の概念に基づいた視点で物語を描きながらも、探検家と同じ概念を持つ観客とその物語をつないでくれている。われわれは、探検家たちを通して、ゆっくりとカラマカテの世界を理解していくのだ。それにしてもこのプロジェクトはあまりにも大変だったと思われる。そもそも監督もインタビューで言っていたが、コロンビアで生まれ育った自分もこのような場所があるとは知らなかったと言っていたし…正に秘境である。こんな膨大な撮影にはもちろん資金調達や製作の難しさだけではなく、アマゾンのジャングル奥深くで遭遇した理解不能な出来事が、プロジェクトを諦めると言う決断を下す以外の選択肢がないというところまで基本的には落ちてしまう制作側人はよくいる…。後はこの作品は実際(エンディング・クレジットでは実際の写真(モノクロ)が数枚流される)日記をもとに事実として描いているが、どの程度までが事実なのかと言うところが気になるところだろう。

    救世主のエピソードなどを実際にあったことと言っている。19世紀に、救世主を名乗る人物が現れて、多くの信者を従えて、おぞましい(劇中の夜の鞭打ちのシーンなど)事を行っていたらしい。また、その数十年後にも救世主が現れたそうだ。前者が軍隊に鎮圧されて、後者は集団自殺で終わった。こういう事実をベースにしているが、基本的にはフィクションだと考えてほしいとの事だ。先程言ったアマゾンの神話のような世界観を描きたかったのだろう。先住民が神聖だと思うのを侵したくなかったのどろう。部族や植物などに実在する名称を使うと、彼らが不快に思うだろうし、また、これらを詳細に調べると学術的な世界に足を踏み入れることになるし、フィクションの要素を入れたとしても、普遍的な真理を描くことに集中したかったっぽいのだ。ちなみにこの映画モノクロにした理由は、昔の探検家が撮影した写真の影響があると監督は言っていた。

    これらの写真の中のアマゾンは、皆が思い描くアマゾンとはまるで違う世界である。それを表現するにはモノクロがふさわしいと思ったそうだ。次に、実際にアマゾンに行った時に、いかなる表現方法を使ってもアマゾンの本当の緑を再現するのは不可能だったと言う。アマゾンには我々が翠と呼ぶものを表す言葉が50以上ある。それを表現するには想像力を刺激するしかないと思ったそうだ。英か映画の中のアマゾンは、本当のアマゾンではなく想像上のアマゾンだ。だけど、忠実に撮影したアマゾンよりも、想像上のアマゾンの方がリアルだと思う。みんなの想像の中に、アマゾンの本当の色があるようにしたかったみたいだ。もしこの映画をカラーで撮れと言われたら、この映画を作る事はなかったと思うとまで言っている。ちなみにブルーレイの特典のメイキングにモノクロ前の実際のカラー映像が残っていたが、確かにモノクロにした方が圧倒的だ。



    てかエバンを演じたブリテン・デイビスどこかで見た顔だなぁと思って調べたら、ホラー映画の「レストストップ2」や「サベージ・キラー」「デビルズ・シティ」に出ていた役者かぁ。こんなインディペンデント映画で主演ばっかり勤めてた彼がこのようなアートフィルムに出るのもまた驚きだ。あと、テオ役のベイヴートはインタビューでこの撮影はハードすぎて、1日15時間から16時間になることもあって、午前4時には起床して朝食をとって6時にはボートに乗り、1時間半かけて現場に向かったそうだ。かなり過酷だったみたいだ。年老いたカラマカテを演じたサルバドールは、オカイナ族の最後の1人だそうで、このことが物語にリアリティをもたらしたとされてる。彼はコロンビアのレティシア付近に移住し、多少の演技経験もあったみたいだ。彼は自身の部族や文化について、これまであまり話そうとしてこなかったっぽくて、それらを話す事は冒涜することだと感じていたそうだ。


    彼は現地語と英語の通訳をしたり、俳優たちに現地語を教えたりもしていたみたいで、言葉を説明して、それを書き写し、それそしてそれらを繰り返すことで覚えてもらうように心がけてかけたと言っていた。若き日のカラマカテを演じたトーレスは、アマゾン流域に30年間農業に親しんできた人物で、本作が初の映画出演になったそうだ。彼はこれまで、ほぼクベオ語のみを使って生きていきたため、スペイン語で思ったことを表現することは難しかったそうだ。そして出演を機会に、スペイン語を学び始めて出演が決まった後、ボゴタへ行き1週間スペイン語の訓練をしたんだそうだ。それが生まれて初めて地元を離れ飛行機に乗った経験だったみたいだ。どうやらボゴタは犯罪者がたくさんいるから故郷の人たちに気をつけなさいと念をされたそうだ。それにしてもこの作品の先住民コミュニティがあったからこそ、人間同士の共存と言う問題にも答えを与えてくれていると思う。

    この共存、調和こそが、現在の政治や社会のシステムからは得られない幸福にたどり着く道なんだろうなと思う。だから現代社会にとって極めて重要なこの知識を、学ぶのは非常に大事だし守っていかなくてはならないと思わせられる映画だ。ある民族や古代文化だけに関係するものではなく、今日の我々が抱えている多くの疑問に答えてくれている。ゲーラ監督は本作を人々の記憶のー部として残るようなものにしたいと言っていた。現在の先住民にも知識は断承されているけれど、文化や言語のほとんどのものが失われている。彼らの知識の断承方法は、伝統的に口承だったそうだ。そういえば、立教大学名誉教授宗教人類学の実松克義氏によると原題の"El abrazo de la serpiente"はスペイン語で大蛇の抱擁と言う意味だそうだ。世界最大の大河、アマゾンはよく大蛇に喩えられる。蛇行する川が大蛇を思わせるからだそうだ。また大蛇は大地の豊穣、アマゾンの自然の象徴でもある。

    だからこの作品には所々に大蛇のシークエンスが挟まれるのだ。映画の冒頭に大蛇の出産場面が映されるのも、また最後に、主人公の1人、アメリカ人民族植物学者は謎の幻覚植物ヤクナルを飲み、大蛇に抱擁される。大蛇は生命の源泉としての母なるアマゾンを象徴しているようだ。この映画は西洋人の侵入のため絶滅の危機に瀕したアマゾン・インディオの悲劇を描いたものなんだろう。フィクションではあるが、事実の部分もあり、モノクロ映画の効果もあって、古いドキュメンタリー映画を見ている錯覚に襲われるのは私だけでは無いはずだ。主人公は2人の西洋人学者と、異なる時期に彼らと出会う1人のシャーマンである。文明と先住民族文化について多くのことを考えさせる物語であり、ー種の哲学がとでも呼べるものである。因みに目に見えない世界に入るためにシャーマンはヤコアナと呼ばれる粉末を鼻から吸引する。これはバラックの木の樹液から作られたもので、強力な幻覚作用を持つらしい(実際に学者たちが鼻から思いっきり吸ってまじでぶっ飛んでる姿を見ると半端ない力がありそうだ)シャーマンはその影響下に問題の根源であるスピリットと交渉し、状況の改善を図るのだそうだ。

    色々と調べると結構この作品どんどん面白いなと思う。とりあえず今回シャーマニズムやアマゾン流域の伝説、神話とかを読み漁るととりあえず、コロンビアのアマゾンの神は太陽神で、ブラジルとの国境近くのバウペス川の神様も太陽神である。日本の神様も天照大神である。さらに、いろんな部族がいてその中のタツーヨ族の生物学的先祖は天空のアナコンダであり、名前をユルパリ・アナコンダと言う。言うまでもなくアナコンダはアマゾンに住む世界最大の蛇である。一方人間の先祖は地上に住むジャガーだそうで、現在の世界で最も重要な動物はジャガーであり、ジャガーは森のスピリットであり、宇宙の秩序と環境を維持する知識を持つとされているようだ。それとアマゾンで最も有名な植物はアヤワスカである。この植物は多くの名前を持っているが、コロンビア、ブラジルアマゾンではカーピ、ヤヘ、シポ、あるいはダイミと呼ばれるそうだ。

    そして、物語の中では、カラマカテはある歩足の最後の生き残りとされている。彼の部族は19世紀末から20世紀末初頭のゴム景気の為、大挙して押し寄せて白人やならず者たちの虐殺により絶滅した。今回の学者のガイドであるマンドゥカの部族もまた同様だったそうだ。映画のこの部分は事実である。コロンビアアマゾンのみならずペルーアマゾン、ボリビアアマゾンにおいても同様の悲劇が起こったそうだ。多くのインディオの部族が奴隷狩りに見舞われ、そのため絶滅した部族も多い。カラマカテはそのため、生きる目的を失い、ジャングルを途方に暮れて放浪するのだ。シャーマンとして学んだ知識さえ失いかける。彼の一生は孤独と試練の連続であったが、最後に自らの使命を悟ると言うのが写し出されている。めっちゃ余談話ばかりしてが、これらの情報は映画を見ても全く分からないため、今回調べて非常に良かったと思う。

    長々とレビューしたが、まだこの作品を見てない方はお勧めする。このモノクロの中にあるカラフルな装いを感じさせる光景は脳裏に焼き尽くし、人を深い瞑想に誘うかのような、安定した静謐さを提示している傑作である。熱帯雨林の美こそ人の心に最後まで残るものだろう。この映画は、ヨーロッパ人たちが手付かずの自然とみなしたがある土地は、実は既に焼畑農耕を始めとする土地の人々の介入によって人間化された土地であり、しかもそこに住む人々は動物についても植物についても、現在消費社会の無知な我々が束になっても構わないような事柄を真っ正面から突きつけられた作品でもある。明治大学教授の菅啓次郎氏によると、そんな土地の英知が、異教徒制圧の夢に燃えるキリスト教の情熱、生ゴム収穫を組織して莫大な富を得ようとする利潤の追求によって、踏みにじられてゆくプロセスも、この作品は真っ正面から描いていると言っていたが、頷ける。それはヨーロッパ人は先住民の生活を破壊し、知恵と思考を破壊し、結局はそれぞれの部族の人口を事実上の0にまで還元せずにはいない(もう誰も昔の暮らしを続けられない)。途中でエピソードのように出てくる、カプチン修道会士が先住民の孤児たちを集めて教育している施設や、救世主を自称する狂ったブラジル人に支配された村などは、まさにヨーロッパ型の権力がこの緑の海に切り拓いた異常な小島のように見える…。あぁ、傑作。




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