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赤頭巾ちゃん気をつけて
G東大入試が中止になった1969年を舞台に、卒業を控えた高校3年生・薫の1日を通して、受験・恋愛・セックス・学生問題などの“揺れ動く青春”を描く。
庄司薫の芥川賞受賞作品で若者を中心にベストセラーとなった同名青春小説を映画化。東大入試が中止になった1969年を舞台に、卒業を控えた高校3年生・薫の1日を通して、受験・恋愛・セックス・学生問題などの“揺れ動く青春”を描く。
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95
134
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3.0
1970年安保闘争あるときの受験生。
青春のモヤモヤ。
性欲を抑えながらでセクシー女医のヌードを妄想したり。
足の親指痛そう。
役者初心者の俳優の台詞の初々しさ。 -
5.0
安保に燃える時代に山手線の内側でしか暮らしてないようなエリート君の青春。わかりやすい流行りや時代の流れに乗れる子と、乗れなかった/乗りたくないゲエテや椿姫を素直に感動できる子と、阿波踊りしてたまるか!と桜餅食いまくる富川澈夫のやりとりとか最高に青春で良い。普遍的な10代の悩ましさや面倒くささはエリート育ちでなくっても納得。
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5.0
冒頭から股がヒュ〜っとなりっぱなし。狂気かつ新時代の渦中の苦悩。悩みに対してより深く考える人と盲目的に潮流に身を任せる人の違いで、語り口が前者の方なのでとても好感が持てる。懊悩、徘徊の末に黄コートちゃんに軌道修正されるってのに加えてCM鬼編集、各種演出もとても上手い。和田誠感はともかくとして加納典明凄いね。この時点で既に絶望していた団塊世代だけれども、後の世代としては同情も反発もまぁ人によるってなる。この時代のエネルギーはやっぱり憧れるけど。原作読みたい。
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3.3
庄司薫の芥川賞受賞の同名ベストセラー小説が原作。
作者名やタイトルからメルヘンチックなものを想像するが全く違う。原作は読んだことはないが大体の内容は知っていた。
今となっては時代を感じる当時の若者の喪失感やその若者の視点から見た世の中や空気感を捉える。
監督は『八甲田山』や『動乱』の森谷司郎。こういう前衛的な映像を撮っていたことに驚かされる。
面倒臭い奴らやなっていう一言では片付けられない何かが当時にはあったのは分かる。どんよりとした空と明るくも暗く映る東京、日比谷。
安保闘争、東大紛争などで揺れる日本。学生達は絶望を感じていたのだろうか。
昨年亡くなった東映の社長、会長を歴任した岡田裕介がまだ役者をしていた頃。映画主演デビュー作でもある。舌ったらずな彼。でもこういう役は似合うような。
タイトルそういうことだったのね。 -
3.5
昨年11月に実父と同じ急性大動脈解離で亡くなった岡田裕介氏追悼番組としての放映を録画して、50年ぶりに鑑賞。原作を溺愛していた中学生の自分が、特にラストに憤ったことを懐かしく思い起こしながら、同時に当時の学生たちのエネルギーや、それを離れて観る立ち位置、また作中でも描かれる思弁などを陶然として観入っていた。飛び抜けた秀作とは言い難いが、自身の来し方にも思いを致し、丸山眞男役に扮した堀川直義先生から大学入学後に撮影裏話を伺ったことまで鮮明に蘇らせられ、胸の奥の方がじんわりと温まる90分となったことだった。
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3.5
1970年、安保闘争、ゲバルト、東大受験、フリーセックス、加納典明、和田誠、いずみたく、石田あゆみ、キーワードと時代で加点。ゲリラ撮影による景色や空気は素晴らしい。
あの時代あの世代は感じ方が違うんだろうな。 -
4.1
国会裏の学校じゃあなるほど一荒れ二荒れでは済まねえぞとなるかも知れん。で、そんなことの十年後高校を出た我が身辺はといえば、当時、伯父が心情的支援に参加してたとかで勘当すれすれだった位なもんで、我が母校なんぞはあまりの無風状態に業を煮やした職員室が生徒共に檄を飛ばしたなんて話が残るくらいで何をか況やだ。
田舎に加えて県営移管から20年の元私学で、もともと地元有力者連が寄ってたかって設立した人脈形成校なだけに、うちの商売の邪魔んなるだろと教師達に抗弁したというのが父兄でなく生徒自身だったというのがオチになるお笑い篇で有名校になってしまった。
かくのごとく、一校になんぼかのカオル君がいたように、一県に何校か程度はカオル校があったわけである。そんな校風を浴びるまでもなく我が世代は医局問題、日大闘争、佐世保に羽田、安田講堂から果ては新宿駅、爆弾事件、ハイジャックに内ゲバまで、テレビで新聞でスペクタクルから時事解説まで仕込まれてしまった次第である。まあ、専らのお付き合いは夜中のラジオだったがね。
そんなわけであるからカオル君には驚くに当たらない。しかしながら、和代ちゃんや小林君相手ではリビングデッドなカオル君が赤頭巾ちゃん相手では何の滑舌良好なるや?
これはカオル君の精神年齢を気遣うのではない。どこまで本気で社会変革を狙っているのか分からない学生運動にも馴染まず、なさずになるまじき「恋愛」にも「交接」にも気が進まず、ボヤキの小林君には桜餅の葉ばかり残される始末のカオル君が赤頭巾ちゃんのエスコートは果たせるのである。ここにカオル君のカオル君たる値打ちがあるというべきだろう。あるいは、桜餅を全て平らげてしまう小林君とて、東大の一学年欠失を被る事には批判者としての存在意義の一部を損なわると嘆かずにおれんところ、能くそのうっぷん晴らしを引き受けたるはまさに友誼の証し、よくぞ莞爾として受けずありき。にっこりなんぞして大げんかになるのも曲があって面白いんだが。
なんにせよカオル君は、日の暮れに赤頭巾ちゃんがオオカミ谷に落っこちないように捉まえる人になるのが、革命的に人民を幸福に至らしめる英雄より似合っているという事だ。
留意を願いたいのは、当時風が吹いた高校は大方がかつてのナンバースクールでその他大勢校は我が校同様の「無風」なのだ。そして笑い話のように語られる「商売の邪魔ぁすんな」も土地に根ざして家業を継ごうという者には当然の心構えである。人脈形成校といった通り、その地方の顔役はみんなOBで、大学なんぞ無用の長物とする気風はちと寂しい限りだが、しかしそうして、あるものは弟妹も同じ学校にやり、遺産は分与できずとも大学に進ませ自活の支弁を図ろうともしてきたのだ。
対して、いづれ百年の計を夢見て国家経営に携わろうなんて人間であって、どこまで若気の至りなのか、現在社会への不満や懸念を暴発させる口実のように難しい話を持ち出す事を胡散臭い以上に人を見下す態度と見切る世界がどれほど広いか、カオル君周辺の学生たちはその時気付きもしないのだ。そこが日本の中心、日比谷の日比谷たるところでもあろう。
さて結局カオル君がどうするのか、何を見つけるのか和代ちゃんの手を捉まえたからといってちっとも団円にはなっていない。継ぐべき家業もないなら真っ当な生き方を自弁で賄わないと和代ちゃんからすぐに振られちまう。でもまだ少なくともリビングデッドは卒業できたろう。夜の闇の中、その手はまだ赤頭巾ちゃんを捉まえている。
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2.5
追悼岡田裕介。森谷司郎が青春映画撮ってると。名作の誉が高いのでずっと観たかった。観ながらこれは、70年のスケッチ映画だ。そして薫くんのモノローグで70年の世相とノンポリ(ノン・ポリシー)の自分が右往左往する事を語る。サリンジャーとの類似が指摘されてるけどね。個人的には、歌謡曲やクラッシックなんかも混ぜるところなんか「なんとなくクリスタル」原型みたいな気もする。当時の日比谷高校は、東大合格率が高くいわゆるエリートコースだ。家も裕福そう。小遣いも月5000円なんで当時の世相としては貰ってるんじゃないかなぁ。厳しいグローバリゼーション時代に突入している若者からすると贅沢な悩みだと言われそうだ。岡田裕介も下手くそながら当時の雰囲気を纏っていた。ラストの写真やニュースフィルムのコラージュは?な感ですね。時代の映画ですね。佐良直美だからだろうか?
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主役のチン中村感がすごい。ピカピカの秀和レジデンス。
「だからその、ぼくの決心がわかってくれると思ったんだ」は村上春樹飛び越えてシンジくんみがあった。ゲバルトで溢れた都心の街並みが延々見れる。岡田裕介の滑舌の悪さと何か言いたそうに黙り込んでる姿があってないようであってるようで騙されてる気がした。 -
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2020.11.25
れんが屋にて鑑賞
東大紛争により東大入試が中止になった1968年。日比谷高校の学生である主人公は、受験するつもりだった入試がなくなり内省する中で、資本主義の加速する社会、それに反発するゲバルト双方に本質を見出せず苦悩するが、同じく苦悩する親友、通りで出会った少女、恋仲の幼馴染に救われる。
インテリが抱える苦悩。加熱する資本主義の醜さ。それに反発する学生運動勢の上滑りしている口先感。どこにも本質はない。全てが暗くみえる。そこで光る、3つの本質。
同じく苦悩する親友。その苦悩こそが、人間の本質。人間らしさ。
また、通りで出会った少女の純粋さ。子供だけが持っている、穢れなきピュアネス。
そして、目の前の人間である幼馴染との恋。愛情。親愛関係。これだけは、嘘ではない。
「これ、鈴木さんじゃないですか。笑」
真っ先に出た感想。スタジオジブリはなぜ出来たのか。この映画を観れば、それは明らかだと思います。
本当に良い映画でした。時代の気分はそう大きくは変わっていない。
では、コロナ禍で何が変わるか。
(Filmarksへ)