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ハムレット

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イタリアの巨匠フランコ・ゼフィレッリが、メル・ギブソンを主演に迎えて放つシェイクスピア悲劇。

敬愛する国王である父が死に、失意に暮れる王子ハムレットは、ある夜、父の亡霊と遭遇。そして、自分は弟であるクローディアスに毒殺されたと告げられる。ハムレットにとって叔父にあたるクローディアスは、王位を奪ったのみならず、ハムレットの母ゲートルードまで妻にめとっていた。父を毒殺され、母まで奪われたハムレットは復讐を誓い、その日から狂人を装うのだが…。

詳細情報

原題
Hamlet
音声言語
英語
字幕言語
日本語
制作年
1990
制作国
アメリカ
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公開開始日
2014-05-14 15:00:00
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ハムレットの評価・レビュー

3.3
観た人
598
観たい人
254
  • 3.3

    limelightさん2021/06/22 23:02

    〜感想〜
    シェイクスピアの悲劇作品
    最後の有名なシーンも
    少し原作とは変わっていたので残念。

    この作品は切ないけど余韻がない

    父の亡霊と会話するシーンは
    まあまあ良かったと思います。

    僕は圧倒的に
    『ロミオとジュリエット 』の方が
    好きでした。

  • 3.3

    NJ1138さん2021/06/22 16:10

    シェイクスピアは読むとかなり面白いけれど、映像化するとヘンテコになりますね、それも面白いのですが。
    やはりメル・ギブソンは狂気が似合う。
    ヘレナ・ボナム=カーターのオフィーリアは、やはり魔女にしか見えない。
    いつかロンドンでシェイクスピア劇を観まくりたい。

  • 2.7

    ココア子さん2021/06/13 11:08

    王妃グレンクローズより、王子メルギブソンのほうが年上に見えるのが気になったが、ハムレットとはこういうストーリーなのかと知ることができた。

  • −−

    Taxonomistさん2021/06/05 06:44

    【ハムレットについて】

    (以下のメモは山田広昭氏の精神分析批評に関する論考などを自分なりにまとめたものである。)

    『ハムレット』は、13世紀のサクソ・グラマティクスがラテン語で書いた『デンマーク史(Gesta Danorum)』の英雄アムレスの物語を種本としており、その翻案作品である。では、シェイクスピアはこの種本からどこを変更したのか。まず、①『デンマーク史』ではクローディアス(弟)による父王ハムレット(兄)の殺害は公然のものであったのに、シェイクスピアの『ハムレット』の場合には、父王ハムレットの亡霊が王子ハムレットの前に現れて、「世間に知られざる秘密」として自分が弟に殺害されたことが王子ハムレットに伝えられる。次に、②父王の殺害に関して、『デンマーク史』では母ガートルードの無実は明らかであり息子の復讐に手を貸してさえいるのだが、シェイクスピアの『ハムレット』の場合には母ガートルードがハムレットの復讐に手を貸すことはない。最大の変更は、③ハムレットは復讐の絶好の機会にあたってもその実行を先延ばしにして当時の常識からいえば義務でもあり権利でもあった復讐をためらうようになっていることである。

    【⑴ロマン派の『ハムレット』解釈:「性格」】
    ③の変更(=「兄殺しによる王位並びに妃の簒奪と兄の遺児によるその復讐劇」から「近代的性格悲劇」へと変化しているように見えること)の存在を強調することによって、19世紀以降、ロマン派好みの解釈がたくさん作られた。たとえば、「復讐という大きな宿命を背負いながら、それを行動に移すことができず、代わりに瞑想にふけってしまうインテリ青年」(A.W.シュレーゲル)とか、「行動力が思考力に食われてしまった男」(W.バズリット)というハムレット解釈が生み出された。要するに、復讐の意識的な遅延の理由の謎、「なぜハムレットは復讐を意識的に遅らせるのか?」という疑問について「ハムレットの性格」というキーワードで答えようとするのがロマン派的な解釈のポイントなのである。では、このようなロマン派的ではない『ハムレット』解釈にはどんなものがあるのだろうか。

    【⑵フロイトの『ハムレット』解釈:オイディプスコンプレックス】

    ③の変更によって生まれた謎、すなわち「なぜハムレットは復讐を意識的に遅らせるのか?」。その答えは、「ハムレットは自分を罰することなしには叔父であるクローディアスを殺せないから」である。これがフロイトの『ハムレット』解釈であった。フロイトによれば、息子ハムレットは潜在的な「オイディプス王」として「自分の父を殺し自分の母を妻とした叔父のクローディアス」に自らの姿を「投影」あるいは「同一化」させている(当時の教会法では妻が夫の弟と結婚することは近親相姦の罪を犯すことだと考えられていたこともこのフロイトの解釈を補強する)。ハムレットは自らは抑圧せざるをえなかった欲望を自分に代わって実現した叔父クローディアスへと憎悪を向けるのだがこの憎悪は不可避的に自分にも戻ってくるのである。ハムレットは自らを罰することなしにはクローディアスを罰することができず、これが彼が復讐をためらう理由である(ただし、通常の解釈ではハムレットはホレイシオと同じく大学からしてプロテスタントの大学であり、亡霊の存在をその教義上認められないから、だからこそ亡霊の言うことを信じられずに、確固たる証拠が得られるまで復讐をためらうのだという解釈が取られることが多い)とされる。

    【⑶ウォルター・ウィルソン・グレッグの解釈:妄想】

    『「ハムレット」で起こること(1935)』という古典的研究の中で、ドーヴァーウィルソンはウォルター・ウィルソン・グレッグの解釈に反対することを生涯を賭けた自分の仕事にすると言っている。というのも、グレッグ(W.W.Greg)は、「ハムレットの妄想(Hamlet’s Hallucination, Modern Language Review)」という論文の中で次のように指摘しているからだ。『ハムレット』の芝居の中では、先王ハムレットの亡霊が王子ハムレットに伝えたとおりに殺害場面を再現する劇中劇が、「クローディアスのうろたえる姿を見て殺害の証拠を掴む」という目的のために2回も展開される。ひとつめは❶セリフのない黙劇で、ふたつめはセリフのある❷「ゴンザーグの殺害」という劇中劇である。このうち、ふたつめの劇中劇ではイスを蹴って狼狽していたクローディアスが、ひとつめの劇中劇のほうではなんの反応も示さないのである。よって、上記の種本からの3つの変更点のうちの①(=父王が亡霊になっていること)を重視するならば、ハムレットの父王は亡霊としてしか証言していないのであるし、『ハムレット』は「妄想に取り憑かれたひとりの若者がその妄想ゆえに周囲のものたちを破滅に追い込んでしまった物語」ということになるのではないだろうか。これがグレッグによる『ハムレット』の解釈である。ドーヴァーウィルソンは、クローディアスがひとつめの黙劇(=❶)で涼しい顔をしていることについては、「上演のはじめのうちは会話に夢中になっていたので黙劇にまで目を向けていなかったのだ」と考えれば辻褄は合うと述べている。ただし、このようなグレッグの妄想解釈には問題点もある。例えば、あまりにも有名な場面「ああ、わしのどぎつい罪は、天にも届く悪臭を放っている」というクローディアスによる罪の告白の場面はどうするのだろうか、という問題である。この件に関して、フランスの精神分析批評家のピエール・バイヤールは、「クローディアスによる罪の懺悔の当該場面を見ているのは王子ハムレットだけなのであるから、王子ハムレットが妄想に取り憑かれていると考えればクローディアスの懺悔の場面もまた、ハムレットの妄想であると考えてもよいのではないか」と指摘している。さらに、このような妄想解釈は次の事実によって補強されている。「大丈夫?虚空を見つめ、ありもしないものと会話をしたりして。すべてお前の頭が作り出した幻(the very coinage of your brain)です。そうした実体のないもの(bodiless creation)を狂気(ecstasy)は巧みに生み出すのです」と王子ハムレットは母ガートルードに劇中で指摘されているのである。つまり、王子ハムレットが見ている父王の亡霊は、母ガートルードには見えていないのである。

    【⑷ピエール・パイヤールの解釈:父王を殺したのは実は王子ハムレット】

    ピエール・パイヤールによれば、ハムレットは父親が自身の恋人であるオフィーリアと密通している場面を目撃してしまい、その後に父が寝入ったところで、嫉妬に駆られたハムレットは「王の耳に毒薬を注いで毒殺した」というのである。そしてこのときの記憶をハムレットは抑圧しており、幻想の中でハムレットは父の代理である叔父に罪を転嫁しているというのだ。この解釈によれば母ガートルードは「不実な夫に裏切られた被害者」でしかないということになる。よって『ハムレット』において亡霊(の妄想)が息子に対して復讐を命じながら、なぜか母を復讐の対象から除外するようにと要求するのは、息子の母に対する欲望からではなく、単に当該の殺害に母がいかなる意味でも全く無関係だからである、ということになる。このピエール・パイヤールの解釈を取れば、あともうふたつの謎に答えが得られることになる。ひとつめの謎が、「尼寺へ行け、尼寺へ。さよなら。それともぜひ結婚するなら馬鹿と結婚したまえ。賢い奴らは君の手にかかって、とんでもない怪物にされることをよく知っているぞ」という酷薄なセリフで、なぜオフィーリアの貞操が硬くないことが糾弾されており、また「妻に不義をはたらかれた夫は頭にツノが生えて怪物のようになる」という伝説がここで言及されているのかという謎である。要するに、「なぜこれほどハムレットがオフィーリアにつらく当たるのか」という問いに答えが与えられるのである(←普通は、ハムレットは、自身が憧れている英雄ヘラクレスのごとく、人間から神になって神にしか許されていない復讐を遂げるためには肉欲を捨てねばならず、だからこそ恋人オフィーリアにつらくあたるのだと解釈されているセリフなのだが)。ふたつめの謎が、なぜガートルードの居間に現れているのに、ガートルードには父王の亡霊が見えないのかという謎である。これも答えは明らかで、「殺害されたものの亡霊は殺害した者の前にしか現れないもの」だからである。

    【⑸ニコラ・アブラハムの解釈:親同士の決闘で父王は実は毒を用いた不正を働いており、ノルウェー王子フォーティンブラスの父とガートルードとの息子がハムレットであり、ハムレットが崇拝する父は実はハムレットの生物学的父ではない】

    そもそも、「亡霊」とはなんだろうか。フランスの精神分析家ニコラ・アブラハムによれば、亡霊とは、「よそものの回帰」のことである。では、ここでいう「よそもの」とは何か。「私たち自身のものではない他者の秘密」のことである。つまり、「亡霊」とは、「「生者たちに言えない何かしらの不正の秘密を抱えながら、それを墓まで持っていってしまったある死者」がいるとき、そのようにして失われた秘密が現実世界に穿った空隙を、残された生者たちが埋めようとする過程の中で出現する幻」のことなのである。そしてその他者は、誰でもいいわけではない。それは「取り替えの効かない重要な他者の秘密」でなければならない。だからこそ、その他者が墓まで持っていってしまった秘密を暴くことは徹底的に忌避されるわけで、それこそが『ハムレット』という作品の真相(=果たして結局犯人は誰なのか)ということがまったく明らかにされないまま、登場人物のほとんどが死んでしまう理由なのである。このように「亡霊」を定義した上で、ニコラ・アブラハムは、著書『表皮と核(2014年に日本語に翻訳)』の中で「物語(歴史)は一つの賭によって始まり、一つの賭で終わりかけていた。30年の時を隔てた二つの決闘、二つ目の決闘は最初のものを包含しているに違いない。ハムレットは強かった、だが勝ったのはレアティーズだった。(p505)」と述べ、『ハムレット』の全体を、「反復の相」のもとに捉えている。どういうことだろうか。要するに、二度目の決闘で、実力でレアティーズに勝っていたのはハムレットだったのに、剣先に毒を塗るという不正によって最終的に勝ったのは、レアティーズだった。これと同じことが一度目の決闘でも起きていたのではないかとアブラハムは推理しているのだ。すなわち、実際にはノルウェー王とデンマーク王という父王同士の領土争いの30年前の戦いにおいて、実力で勝っていたのはノルウェー王(=王子のフォーティンブラスの父)のほうだったのであり、それなのにハムレットの父は毒を使った不正によって、この30年前の決闘に勝ったのではないだろうかとアブラハムは考える。そしてこの不正な勝利の結果、ノルウェーの領土は先王ハムレットのものになっていたのである。こう考えれば、劇中の最後にノルウェー王子フォーティンブラスが突如登場して、ハムレットからデンマークの王位継承を推挙されるのだが、このことにも辻褄があう。さらにまた、アブラハムによれば、もうひとつの反復が想定できるという(「ハムレット、あなたは自分の父があなたを憎んでいるということを、知らないでいたいのだ。(p506)」)。クローディアスの行った「兄王の毒殺と寡婦との結婚という不正」も実は過去の出来事の反復なのである。というのも、ノルウェー王子フォーティンブラスの父をかつて毒で殺したハムレットの父は、王子ハムレットをフォーティンブラスの父との間に妊娠していたガートルードを王妃として迎えたとアブラハムは解釈しているのである。

    【⑹カール・シュミットの解釈:ガートルードにはメアリー・ステュアートが重ねられ、ハムレットにはエセックス伯とジェイムズ1世の運命が流れ込んでいる】

    ドイツの公法学者カール・シュミットは、『ハムレットもしくはヘカベ(1956)』の中で、「この劇作品には、劇以外の構成要素が含まれていて、その意味でこれは完璧な劇ではない。この劇作品の時間と場所と筋の統一性は閉じられておらず、純粋に内閉した過程を生じさせていない。そこには二つの大きな開口部があり、そこを通って歴史的な時間が劇時間の中へ侵入してくる。それとともに、絶えず新しい解釈可能性、絶えず新しい、しかし結局のところ解決不可能である謎、これが見極めがたい流れをなし、その他の点では非の打ち所のない劇の中へと流れ込んでいる。二つの侵入----女王の罪を覆い隠している禁忌と、復讐者の典型像が曲げられて起こる主人公のハムレット化----は、二つの蔭、二つの怪しげな箇所をなしている。これらは決して単なる歴史的・政治的な暗示ではない。単なる仄めかしでもなければ真の反映でもなく、所与の事態として劇の中へと受け入れられ、劇によって尊重されている。」(シュミット、『ハムレットもしくはヘカベ』)と述べており、ハムレットの初演は1601年か1602年であり、この劇の台本として有名なフォリオ版第二版の成立が1605年の出版であることに、注目する。というのも、ちょうどその二つの時点の間に位置する1603年に、生涯独身で子供がいなかったエリザベス女王が逝去して、ジェイムズ1世がイングランド王として即位していたのである。このことは、メアリー・ステュアートを当時の観客に想起させずにはおかなかった。なぜならば、メアリー・ステュアートの夫でジェイムズ1世の父であるヘンリー・ダーンリ卿は1567年2月にボスウェル伯によって殺されており、それから3ヶ月後の1567年5月にメアリー・ステュアートは他ならぬそのボスウェル伯と結婚しているからである。「夫の殺害から3ヶ月も立たないうちに夫を殺害した者と結婚する王子の母」という明らかな史実との照応関係から、劇作家シェイクスピアにとっては、「メアリ・ステュアートの息子で、王位継承者の期待がかけられたジェイムズへの配慮によって、父親殺害の罪が母にあるよう設定するのは不可能だった。その一方でハムレット劇の観客は、プロテスタントの全イングランドにおいて、とくにロンドンにおいては言うを俟たず、メアリ・ステュアートの罪を確信していた(メアリー・ステュアートはカトリックだった)。こうしたイングランドの観客への配慮によって母親に罪がないと設定することもまったく不可能だった。」(シュミット、『ハムレットもしくはヘカベ』)とカール・シュミットは推理する。そしてだからこそ、母ガートルードは、叔父のクローディアスによる父王の殺害に関して、責任が無いとも有るとも言われず、端的に復讐の対象から治外法権的に除外されるのみなのである。ガートルードの責任の有無に関して、はっきりしたことは言えない事情があったのだというわけだ。こうしてシュミットによれば、上記の変更点②、すなわち、「父王の殺害に関して、種本の『デンマーク史』では母ガートルードの無実は明らかであり息子の復讐に手を貸してさえいるのに、シェイクスピアの『ハムレット』の場合には母ガートルードがハムレットの復讐に手を貸すことはないのはなぜなのか」にも明確な答えが与えられることになる。さらに、シェイクスピア一座がその庇護を受けていたエリザベス女王晩年の寵臣でありながら、女王の逆鱗に触れ、1601年に処刑されるエセックス伯の運命がハムレットには重ねられており、カトリックとプロテスタントという宗派間分裂に悩むハムレットの苦悩は、ジェイムズ1世の苦悩に重ね書きされているのだという。ここでシュミットは、批評の方法として、「兆候的読解」と呼ばれる態度を取っている。「兆候的読解」というのは、対象となるテキストの中の謎めいていて理解しがたい箇所にあえてこだわり、注目し、それをテクストを否応なしに加工する強大な(外的な)力の「兆候」として捉えるという批評の方法論である。実際シュミットは、次のように述べている。「観客の知識は演劇の本質的要因である。戯曲家が劇の中に織り込んでいる夢もまた、無意識過程において圧縮なり置換の処理を経たつい最近の出来事を含め、観客もまた一緒になって夢見ることのできるものでなければならない。」(シュミット、『ハムレットもしくはヘカベ』)

  • −−

    misaさん2021/06/03 23:14

    冒頭のグレン・クローズとヘレナ・ボナム・カーターが非常にかわいい。有名なセリフは結構最初の方にサラッと言っちゃうのね。

  • 3.4

    やまとさん2021/05/28 01:39

    ハムレット自体初めて鑑賞。
    シェイクスピアの四大悲劇の1つだということも初めて知った。


    悲劇ではあるものの、深く感情移入もせず、悲しいという感情が湧かなかった。
    ストーリーではなく歴史を見ているような感覚。


    セリフがあまりにも戯曲的。
    やはり忠実に原作を再現するがあまり、そもそも映画向きではないんだろうなと実感させられる。
    劇の脚本なので仕方ないが、、


    原作を読みたい!とはならなかったが、劇場で観たい!と思った。


    教養が1つ増えたので満足。

  • 3.3

    せろりさん2021/05/01 13:30

    亡霊に惑わされすぎでは
    たしかに王妃の心変わりは早すぎでは
    お兄さん死の間際で裏切るの?
    と構成的に肝心なところでの心情描写が薄いため原作読んでないと、なぜそういった行動に移ったのかがわからない感じだった
    ただ一つの城にフォーカスして場面を切り替えてスケールは小さくても描写に飽きないようにしているところは良いと思った

  • 3.5

    dpunchさん2021/04/29 14:55

    過去鑑賞にて

    何か昔に観たなぁ~…
    くらいの薄い記憶…

    父である王を叔父に毒殺された息子のハムレットの復讐劇。

    メル・ギブソンの髭面な風貌がシブかっこいい、そんなところくらいが唯一の印象。
    でも何となく見応えはあったように思います。
    (どこが、とかは詳しく言えないのですが…)

    to be、 or not to be…
    レビューするのか、しないのか、
    それが問題だ…

  • 4.2

    レイチェルさん2021/04/22 17:53

    『ハムレット』って多すぎる。私はメルギブで行く!
    「尼寺へ行け」「生きるべきか死ぬべきか」ってこういうことなのかと初めて知った。シェークスピアって素晴らしい(今さら)!
    メルギブの大大大大大熱演、そして特筆すべきはヘレナ・ボム=カーターがとても可愛いらしくて美しい。加点。

  • 3.5

    トモマサさん2021/04/18 17:15

    本を読んだので映画も観てみた。メルギブソンの狂気とも言える演技が良かった。オリーフィアはもうちょっと美形の人でも良かったような(笑)。最後の畳みかけるような悲劇的なラストは圧巻でした。でも舞台の方が面白いんだろうな。

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評価・レビュー

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    ※ニックネームに(エンタメナビ)の表示があるレビューは、2016年11月30日までに「楽天エンタメナビ」に投稿されたものを掲載しております。

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